“気学”を通して、リズムを知る 自分を知る 回りを知る
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区切り
土曜日は娘の卒園式でした。

1年間の成長には、驚きと、感心と、先生方に感謝です。(感動しすぎて、涙でビデオが撮れませんでした)

娘を出産するときは本当にいろいろあって、娘に救われた部分がたくさんありました。

今は、私のエネルギーの源です。

彼女がいるから、がんばれる自分がいます。

私が見る(というか見れる)TV番組(NHKおかあさんといっしょ)のなかで、

瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しぬ)はゆ 何処(いづく)より 来(きた)りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとな懸りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ

銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも
 
という詞(万葉集、山上憶良)を、高らかに歌い上げているコーナーがあります。
 
意味は 瓜を食べると子どもが思い出される。栗を食べるとまして偲ばれる。

いったいどこからわが子として生まれてきたのか。目の前にしきりに面影がちらついて、ぐっすり眠らせてくれない。
 
 銀も黄金も玉も、いったい何になるというのか、そんな勝れた宝でさえ、子どもに及ぶものがあろうか。
  
説明ですが、 山上憶良が、離れて暮らす子どもらを思い詠んだ長歌と反歌。

この歌の前には、次の意の序文が付いている。

「釈迦如来がその貴いお口で正に説かれたのには、「等しくあらゆる生き物をいつくしみ思うことは、わが子を思うのと同じである」。

また、「愛は子に対する愛に勝るものはない」ともおっしゃった。この上ない大聖人ですらわが子を愛する心がある。まして世の中の人々のなかに、誰が子を愛さない者があろうか

毎朝この詩を聞きながら、本当にそうなんだな。と実感しています。

確かに物欲は減退しました(体重は激増しましたが。)

ただ、子供が毎日遊びにお勉強、がんばっているように、私も子供に恥ずかしくないようがんばっていたいなと思っています。

親として娘に対して、きちんとできているか試行錯誤の毎日ですが、

無償の愛をささげていきたいと思います。

区切り多い今月節です。

どんな区切りをつけられましたか?

区切りのなかで、なにかを感じ取れるようにしていきたいですね。

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